クラカタウ535年の大噴火
535年の大規模な噴火はインドネシアの文明に歴史的な断絶を引き起こし、世界各地に異常気象をもたらた。その痕跡は樹木の年輪や極地の火山灰の堆積のような物的なものから歴史文書に至るまで広範囲に亘っている。日本書紀においても異常気象と飢饉の発生についての言及が見られ(安閑二年)、同時期に朝鮮半島からの渡来人の流入、馬具の発達、中国から流入した仏教の興隆などが起きており、古代日本の国家形成に与えた影響は小さくはない。
1883年の大噴火
1883年5月20日、ラカタ島で水蒸気爆発を伴う噴火が始まり、同時に発生した地震は数年にわたって観測された。8月11日、同島の3つの火山が噴火した。そして8月27日月曜日バタヴィア時間午前10時02分(現地時間9時58分)に大噴火を起こした。噴火で発生した火砕流は海上40kmを越え、スマトラ島ランボン湾東部で人間を殺傷した。また、噴火により発生した津波が周辺の島を洗い流し、航海中の船を激しく揺さ振った。死者は36,417人に及び、2004年にスマトラ島沖地震が起こるまではインド洋における最大の津波災害であった。
この噴火は海底ケーブルによって全世界に報道された、史上初の大規模災害である。
噴火の影響
噴煙の高さは38,000m(48,800m説有り)。爆発音は4,776km先(インド洋上のロドリゲス諸島)まで届き、人間が遠く離れた場所で発生した音を直接耳で聞いた最長距離記録となる。衝撃波は15日かけて地球を7周した。5,863km離れた東京で1.45hPaの気圧上昇が記録されている。津波は、日本では鹿児島市の甲突川にも押し寄せ、17,000km離れたフランスのビスケー湾の検潮儀にも記録された。成層圏にまで達した噴煙の影響で、北半球全体の平均気温が0.5?0.8℃降下し、その後数年にわたって異様な色の夕焼けが観測された。画家エドヴァルド・ムンクの代表作“叫び”は、この夕焼けがヒントになっていると言われている。アメリカの児童文学作家W・P・デュボアはこの噴火を題材に長編小説『二十一の気球』を書いた。日本では1884年の歴史的な大凶作をこの噴火と関連づける向きもある。
噴火後のクラカタウ
当日16時に1,850km西南西にあるインド洋上ココス諸島で降灰を記録。火山灰の降下域は70万平方キロに及ぶ。噴出量は25立方キロ、火山爆発指数は6.5であり、記録が残っている噴火では歴史上5位にあたる(1位は1815年のタンボラ山で、150立方km。地質学的にはスマトラのトバ、九州の姶良(あいら)、阿蘇(あそ)、阿多(あた)、加久藤(かくとう)カルデラなどの方がはるかに多量)。
噴火後、三島のうちラカタ島は最南端のラカタ山を残して北側の大半が吹き飛び、ポーリッシュ・ハットもやはり消滅、逆にセルトゥン島、ラング島は噴出物により面積が拡大した。更に北東側の海にも噴出物が堆積して二つの新しい島(スティヤーズ島とカーマイヤー島)ができたが、まもなく侵食されて単なる浅瀬になった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
クラカタウは定期的に噴火を繰り返しているんですね。
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